2009年2月25日水曜日

今回は凹じゃなくてPMSと言えるかも

数年前からPMS(生理前症候群)っぽい感じがして、でも生理周期に関係なく(異様に)落ち込むこともよくあるし、生理が来ても落ち込み続けたり頭痛が続くこともあったのでPMSという言葉は使わず「凹期間」という表現をしていました。

今回は、一昨日からがっくーんと気分が落ち込んで出社するのにも午前休の連絡をするのにもとてもエネルギーが必要だわ、迷惑をかけることを自責しつつも脳と身体のストっぽい状態に抗えない自分であるならばどう生きていくのが一番社会に迷惑をかけないのかとか考えていて、「あーこれはきっと凹期間だからだろうなあ…」とは思っていましたが、昨日の夕方に生理が始まって今朝起きたら気分がスッキリ。
頭痛はちょっと残っているけど目覚めも昨日に比べたら格段に良くて、雨だというのに足取りも軽い(一昨日昨日と比べて)。

ということで、ああこれはPMSと言っていいだろうなあと思いました。

今の仕事の契約終了後の身の振り方も考え中だし、しばらくは冠婚葬祭系イベントも無さそうだし(いや、葬はわからんけど。)、キャリアプラン、ライフプラン、メンタルケア系のえらい人の話でも聞くかーと思い中です。
三竦みなので、まずはりさこさんが教えてくれたところに相談する予定(結局動いてなかった)。
頭も動くようになってきたので、苦しい時の状態を忘れないうちに要点をピックアップしておこう。

2009年2月24日火曜日

助かりたいと思うこと

助かりたいと思うこと、幸せになりたいと思うこと、は重要。
実行できるか、するか、する気があるか等は二の次。
できなくてもやらなくてもいいから「ここから抜け出したい」と思えないと、違う世界を覗く事になる。

やりたいやりたいと思っているだけじゃダメとかいうまっとうな人々には有益な言葉でも、非まっとうな人間には害になることもある。
雲の上を目指すんじゃなくて、生きたいと思うこと、幸せになりたいと思うことという一段上を目指せ。
何が幸せなのかとかいう定義はあとからすればいい。

とにかく今の状態が不快だと思うこと。
どこが不快か、なぜ不快かという判断はあとからすればいい。
少しでも嫌な感じがしたらその感覚を大切にすること。

ダメダメでも生きていていい。私が許す。

2009年2月19日木曜日

人生の目標

・両親と同居もしくは近所に住んで頻繁に顔を出す(ような自分になる)
・両親を介護(外注含む)して看取る
・新島家の墓を罪悪感の少ない方法で処分(?)する

これが最終的にやりたいことだと思う。
金も必要だし、それ以上に精神的に落ち着かなくては。
自分がストレスをたくさん溜めながら同居するのは、一人暮らししているより親を悲しませるリスクが高いので却下。

両親が死ぬまでが私の人生第二幕、という感じになるのかなあ。

2009年2月17日火曜日

ダイエットはできているんだけど

なんかこう最近はナチュラルに情報ダイエットができている(情報的に引きこもっている)。
mixiもあまり見なくなったし。
だんだん自分から面白みとかが減っているという実感がある。
無理をしなくても時間が解決するってこういうことをいうんだろうか。

でも情報入手はあまりしていないはずなんだけど、どうも焦っているというか神経が張り詰めている感じ。

何をしているかというと、仕事か寝ているか本を読んでいるかゲーム(携帯かWEB)をしている。
もう少しゲームの時間を減らしたらぼけっとする時間を増やせるかなぁ。

2009年2月16日月曜日

お金

私はどういうことに対する報酬としてならお金をもらっても罪悪感を持たないでいられるんだろうなあ。
気にしないようにしているけど、次の仕事とかを考える時は頑張って無視しないと難しい。
家庭菜園とか作って少しは食べ物を自力で得るようにしてみた方がいいのかしら。

しかし私にできる「仕事」と両立できるのだろうか。
食べもしないのに生き物を放置して捨てることになったらと思うと。
っていうかまず自炊を続けられるような仕事が私に続けられるんだろうか。

実家に帰れれば土地もあるし、家賃も安く済むしかなり良い状態なのになあ。。

2009年2月9日月曜日

労う

「あなたは平和でいいわね。」っていう人は、きっと大変な状況にいるんだろうから、「ええ、平和ですよ。(自分でそういう環境を選んでますから。)」って答えるんじゃなくて「そうですねー。あなたは大変そうだけど頑張っててすごいですね。」とか言うといいんじゃないかな、とは思う。

ナレアっていても状況は改善されない!って言っている人でも、人に対して(私から見るとイヤミのように)「平和だよね」「ある意味幸せだよね」って言っているのを見ることがあるんだけど、そういうのってやっぱり多少の差は有れ、労って欲しいのではないかしら。
「人間だもの」ね!

っていうか、馴れ合いと労いってどう違うんだ?って今になってわからなくなった。
労い+「そのままでいいんだよ」「あなたじゃなくて環境がor運が悪いんだよ」っていうのが馴れ合い??

私はナレアイ(の存在は)肯定派です。
苦手だからうまくナレアえないけど。

なんだかわかりたい

人間は、なんだかわからないものを気持ち悪いと思うようだ。
なんだかわかろうとしたり、それを「例外」とか「悪」とかに括って理解はできないけど置き場所を決めて安心したりするんだと思う。

なんだかわかりたい、とは思う。
でも世界を、全部を、わかるのは錯覚以外には無理だ。
たぶん。

人それぞれ

「価値観を押し付けるな」という価値観を押し付けるな。

んん?

2009年2月4日水曜日

ソフィーの世界はだいぶ前に読み終わっている

最後が発散方向なので(私はそう思った)、読んでいるこっちもどうでもいい気分になって感想を書いてなかった。

哲学概要に関してはわかりやすくて良かった(哲学を全くかじったことがない私にとっては)。
気になる考え方があったらそこを調べようという取っ掛かりになると思う。

哲学というもの自体を見ることで新しく考えるようになったのは、私は「真理」とか「正しいこと」とか「絶対的な価値、存在」というものは感知できないと思っているけど、それらが存在する可能性はあるんだなあということだった。
でもやっぱり今の私はそれらが体感できるとは思っていないけど。

ストーリーについては、中盤のヒルデについての謎が解ける(?)辺りはかなり良かったけど、後半の神様Aから逃れるには神様Bの意思が必要なんじゃないかなーとか思うので、その辺りで微妙な気分になった。
まあ、うん、結局は「私とは何なのか」ということになるんだけど。

でも最後の最後の話はちょっとステキだと思った。
そしてステキだと思う自我は真理(の存在を含め)はどうあれ、やはり認識できてしまう辺りが業だよなあとも思った。

そうするとやっぱり脳科学とか宗教とかに興味が移るのは自然な流れだと思うのね。
そんなわけで、Amazonのほしいものリストからどれを読むか選んでいたんだけど、そうしたらずっとほしいものリストに入れっぱなしになっていた『生物と無生物のあいだ』が気になってきたので買うことにした。
テーマも遠くはないし。

そんなわけで、間に小説を挟んだりしたけど、今は『生物と無生物のあいだ』を読み中。

意思

ここ数年、雇用保険の給付をもらっていないなあと思った。
基本的に職に就く意思がないのでもらえない。

意思、願望があるということはそれだけで周囲に手助けしようと思わせるってことなんだなあ。たぶん。
内容はどうあれ、願望が「人らしさ」につながっているんじゃないかなあ。
それで支えあったり憎みあったりして生きていくんだろうなあ。
うーん。

2009年2月3日火曜日

意識的に生きる

私は人よりは意識的に"将来を捨てる"ような生活を選んでいるので、楽に平和に過ごせているのだと思っている。
自分や周囲の人の将来や充実した生活のために頑張って生きている人が、私より苦労しているのはそりゃあ当然なので、罪悪感を感じなくてもいいと思うし、皮肉っぽく「君は平和だねぇ」と言われても「ええ、あなたが欲しがっている幸せを放棄してますから」とか言っておけばいいのだ。

あなたはあなたが選んだ生活をしているのだから、他人に対してそんなに皮肉や批判を言わなくてもいいじゃないか。
あなたが世界で一番苦労していて、頑張っているのだとしても、その道を選んできたのも選び続けているもあなただ。

…って言いたかったんだなー。
いつもすぐに言葉が出ない。

まあ、その上で誰にどんな言葉を言うのもその人の勝手なんだけど。
それで、言われた私がぶつくさ言うのも勝手なんだ。
世の中はなんでもいい。

いや、でも「正しいことがある」というのが真理だったら?
うーん。
そういうのはわかりえないので信じるしかないと思うんだけどなー。
難しい。

2009年2月2日月曜日

目的

行動には常に目的があるのか?
その目的とは誰の目的か?(神?自我?遺伝子?)
行動というのはどのレベルの変化のことまでを含むのか?

フレーム問題…。

幸せって何かわからないくせに考える

世の恋人たちは、
1.「相手が多少の不満を抱えても、それ以上の幸福を与えている」と思って付き合っている
のか、
2.「相手が不幸になろうとも、自分が幸福になりたい」と思って付き合っている
のか、それとも
3.相手の幸不幸は気にしていない
のか?
幸不幸を考慮しているけど他のパターンというのは何があるだろう?
相手が自分と付き合っていることは相手の自己責任と思っている場合は3に含まれると思う(この場合は「自己責任」じゃなくて発言者から見たら「他者責任」だ)。

私は1番目と2番目の両方。