2009年1月26日月曜日

ぼんやり は楽

このぼんやりしている感じは楽だ。
何かを楽しんでいるわけでもなく、苦しんでいるわけでもなく、考えているわけでもなく、なんかぼんやりしている。
ちょっとダルいというか、布団があったらすぐに横になりたい感じだけど、積極的に「布団で寝たいなあ」とは思わないくらい。

とにかくぼんやりしているので、作業をしなければとも作業するのが面倒だともあまり考えず、気が向いたら作業している。

ちょっと頭痛はする。
でもこれくらいの苦痛で、考えてしまう苦痛がなくなるなら安いものだと思う。

ぼんやり

祖母宅の庭の木を切ったものがゴミ処理場に持ち込まれて、いまごろ庭はスッキリしているんだろうなーとか想像しながら仕事している。
スッキリというより、今の季節だと寒々しいかもしれない。

春や夏になったら草むしりも手伝いに行かないといかんかもなー。
うーん、次は残業が少なそうな職場にしようかな。

身体が疲れているからか、風邪薬のせいか、ぼんやりしていて仕事に集中できない。
でもまあ体感はできていないけど、具体的な作業内容をチェックしてみると進んでいるからいいか。

2009年1月21日水曜日

カレンダー

googleカレンダーを開くと、1月の3箇所に「告別式」「葬式」とか書いてある。
珍しいと思った。

未亡人

人が亡くなったという話を聞くと、自分がまだ死んでいないということを意識してしまうんだなぁ。
たぶん妹が死んでから自分のことを「まだ死んでいない人」だと思うようになって、なんだかすごく居づらい感じになった。
何度も書いている気がするけど、「未亡人」と自称する感覚はこういう感じなんだろうか、とか思う。
以前は『差別的な言葉だ』って意見に「ははぁ確かに」と思っていて、こんな感じはわからなかったし想像もしなかった。

いろいろ気を紛らわそうとして、結婚したり遊んだりガッツリ仕事したり離婚したり毛色の違う仕事したりのんびり過ごしたりして、最近は健全に(生とか死とかを普段はあまり考えないで)過ごせるようになったけど、今月のように立て続けに葬儀の話題が出るとけっこう脳が白くなる。

何も考えられないこの状態はムズムズするだけであまり苦痛ではないから続くなら続いてもいいんだけど、時々我に返ると苦しいのでそれが嫌だ。
まああと数ヶ月もすればまた元に戻るかな。

2009年1月20日火曜日

中の人

たぶん私の身体のほとんどの部分部分は身体全体を生かそうとしているんだろうなあ。
まあ私の思考には伝わらないんだけど。

急展開2 メモ

他の人には近さや関係が全然わからないと思うけど、とにかくビックリしたので自分用メモ。

昨夜、また母からメールが入った。
週末の連絡とか父方伯母1の旦那さんの入院報告かと思ったら、父方叔母のお姑さん(同居)が亡くなったという話だった。
そこのお舅さんが亡くなったのは甲府のお祖父ちゃんが亡くなった約一ヶ月前だったという話で、なんか今回も近かったのがほえーって感じだったり、どっかで誰かが亡くなったって話を聞いたりすると気弱になったり、あるいは健康を保とうとして頑張ったりして影響があったりするのかなーとか思った。
っていうかビックリだ。
夜なのに電気が付いていない事に気付いた叔母さんが、実母のことがあったので怖くて様子を見に行けなかったというのも(その叔母さんは元から怖がりだし)、まあわからないでもない。
っていうかまさかって気持ちだったろうなあ。

叔母さん夫婦はまた葬儀の準備か…。
従兄弟の奥さんたちも法事続きで大変だな、きっと。

伯母1の旦那さんは、入院手続きをしたもののどうしても家に帰りたいと言っていたらしく、夜中になって伯母さんがタクシーで迎えに行ったらしい。
過去の認知症的エピソードも聞いたけど、大変そうだと思った。
本人的には入院はしたくないんだろうけど、四六時中伯母さんが見ているわけにもいかないだろうし…。

父方きょうだいの中では父がいろいろと相談を受けたりする役回り(仕切りたがり?)だったりするし、みんな忙しくなってしまったので甲府の家を片付けたりする際は手伝いに行かないとなーという感じ。

職場で隣の席の人のお祖母さんもこの前の週末に葬儀だったようだし、みさきちさんとこも年明けすぐにだったし、寒いとやっぱり高齢者には厳しいのかねえ。
といっても毎年冬は寒いわけだけど(去年はこんなに身近な話題としては出なかったと記憶している)。

2009年1月19日月曜日

次の世代

次の世代というか、友人の子供とかが社会人になったりする頃に、私は何をどう考えているんだろう。
自分の子供も、甥や姪もいなくて。
私はその一部を自分で選んだし、これからも選び続けて、いつかそういう時期が来る。

墓を作れば落ち着くのか?

両親が死んだとき、私は何をどう考えるんだろう。

ソフィーの世界を途中まで読んだ感想

サルトルが気になる。
「人間は自由という刑に処せられている(人間は自由であるように呪われている)」という辺り。
これを私はずっと考えつつも受け入れられない(受け入れる覚悟ができていない)んだよなあ。
逃げたい。

2009年1月15日木曜日

機会損失

"私の"情報ダイエットのキーワードは「機会損失」。

チャンスを逃した損失と、チャンスを逃さないためのエネルギー(コスト)とは結果論でしか比較できない。
後者のコストの期待値が大きい(高確率な低コスト+低確率な膨大コスト)と思える時には、私は機会損失を選ぶ。

本当にこれでいいのかと揺らぎまくったり、機会損失を積極的に選ぶことは常識外れだと肩身が狭い思いをしたりするけど、より良い(善い)人生よりも確実に一日長く生きることを選んでいる間はこうしていこうと思う。

2009年1月14日水曜日

想像力とか体感力

に関することを考えていたんだけど(スタート地点は全然別だったはず)、消化してしまったのか頭の中で霧散した。
時間と空間が近づいていくこととか、過去の狂気が未来の通常になるという感じとか、そんな事が関連している。

モチベーション

「モチベーションが低いときは○○すると良い」みたいな文章を見て、どうするのが良いのかということを考えられる状態でも「モチベーションが低い」に入っていることが不思議だなあと思った。
私がモチベーションが低いとかやる気が無いと思っている時は、明日の食料や住むところが無くても(今は)構わないと思っている時なので、やるべきことをピックアップして云々とかができるレベルではないから。

で、私が思っている「モチベーション」というものがそもそも違うのかな?と思ったので検索してみた。

動機づけ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E6%A9%9F%E3%81%A5%E3%81%91

ということは、モチベーションが低い=「行動の理由において不快を避け、快感を得ようと」していない、ということかなあ。
ある意味私はモチベーションがずっと低いということかな。
破滅願望がある人とかは、どんなに激しい言動を取っていてもモチベーションが低いということかな。

「眠いけど、まともに仕事ができる気がしないけど、給料が欲しいわけでもないけど、考えるのが面倒だからとりあえず出社しよう」としている時はモチベーションが低いのかな。
考える苦痛から逃れようとしているから、そんなに低くないのかしら。
むしろ「一人暮らしをして人並みの苦労をしたい」と思う方がモチベーション低いのかな。
それは内発的動機づけになるのでどっちもどっちなのかな。

無意識とかまで関わってきそうでキリが無いから、あんまり一番下を探そうと思っても意味ないか。

ライフハック的な方向だと、内発的動機づけがしにくい時は外発的動機づけをせよという話で、まあいいんだけど。

2009年1月8日木曜日

減点法だけど

私はかなり減点法でマイナス思考な人だと思うんだけど、それでもとても元気に明るく過ごしているように見えることが多いのは、元の点数がめちゃめちゃ大きいからだと思う。
減点しても減点しても、他人や自分や世界に対する評価が高いところにあるんだと思う。
減点し疲れするくらい。

「どん底に落ちたらあとは這い上がるだけ」という話があるけど、私はたぶんどん底に落ちることができない。
だからずっと減点し続けるんだけど、しばらくは世界に対して高評価が続くんだと思う。
未来に希望があるんじゃなくて、現時点で感じている世界そのものがステキなんだ。
でもステキさを素直に感じるには私のスペックが低い。

うーん、私は世界を自分が認識できる位置に引き寄せるために減点しつづけているんだろうか?

2009年1月7日水曜日

理性の他に

悟性という言葉もあるのか。
感性とあわせていろんな人の定義を調べたい。
でも実感はできそうにないけど。

順調に

哲学・宗教・脳科学(神経科学)と興味が出てきました。

哲学するのと哲学を学ぶのはちょっと違うのかなー。

理性とは何か

ソフィーの世界を読んでいたら、「理性とは何か」という定義が自分の中でできていないことが気になってきた。

流れ:
・デカルト・ロック辺りの話を読みながら、私は「確かなもの」を求めていないので哲学者(方向の人)ではないなあと思った。

・私は理性も情動の一つだと思うので思考は情動の上に存在していると思っている=「確かなもの」を求める道具にはできないのではないかと思っている

・あれ?そもそも「理性」ってみんなどう定義してるんだ?

って感じ。

うーん。
情動の一つというより、無意識の部分でどれだけ判断しているかというのが測定できないことには理性も情動も分けられないのではないかっていう方が近いかなあ。