2008年12月15日月曜日

拠り所メモ

日数的にそろそろ凹期間になると思われるので再メモ。

創発という概念のどこが私にとって癒しだったかというと、「自我」というのはミクロな偏りからマクロな偏りまでの中の単なる一部分だ(それが特異点なのかどうかわからないけど)と考えられる辺りなんだろうなぁと思う。
山や海に行って「ああ、自分の悩みなんてちっぽけなものだ」とか思うのと同じような感じかな?
感情なんて単なる神経伝達物質による反応だ、なんていうのとも同じことかも。

とにかく、いろんな要因の集合で刹那刹那の感覚があって、その感覚の集合で感情というものができたりして、感情による行動の集合で「新島みみ」という人格が認識されたりしているわけで、そのある一段階の中で方向性が統一されてないってことはよくあるんだろうな、と思えるようになった(一段階という定義も曖昧だけど)。
さらにそういう「人格」の集合が、「最近の若いもん」だったり「日本人」だったり「人類」だったり「生物」なのだ、と(ある観測点が)認識するんだなーとか考えると、ますます「統一されてるのが自然という方が無理あるよな」と。

私の中には時々刻々と変化する矛盾している(可能性の高い)無数のベクトルがあって、それの合計がたまたま他の方向よりも大きくなった時に認識や行動とかに結びつくんだなあというくらいで、方向を定めることに気負わなくていいと思うようになったというか。

まあこの辺は何年も頭では考えていても気楽にはなれなくて、いろんな環境に身を置いてみて試していた内のたまたま一つのパターンでようやく実感できたんだけど。
あれはある意味奇跡体験だよなあ。
自我は偏りの一部分なんだっていうのは念仏のように唱えているし。
ほんとに拠り所だ。

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