2008年9月30日火曜日

メモ

いまだに作業内容の全体像が全然見えない。
配属になって一ヶ月後ってこんな感じだったっけ…?
やっぱり普段よりやる気を出さないようにしているからかなあ?
それとも基本的な知識(業務とかDBとかについて)が少ないから理解が遅いのか。

……なんか考えていたら、開発手法とかのレベルでの効率が気になってきた。
特にリニューアルの場合についての開発手法とかって手法として確立されているものがあるのかとか全然知らないや。

2008年9月26日金曜日

メモ

優先順位をつけたり、TPOでフィルタをかけたりということがナチュラルにはできない。
ので、むやみにレコメンドが流行るのが怖い。

あと、「やりたい事」と「やらなきゃいけない事」の区別がつかない。
○○したいなーとか○○になりたいなーと思った直後に、「じゃあそうなるように動けばいい」と思ってしまう自分が居て、その自分がプレッシャーになっているような感じです。

「“夢”は見るもので、“目標”や“目的”になってから達成すればいい」と思えるようになれればいいんだけど。

最近は油断しているのかやりたい事が増えてきた感じがするので気をつけたい。

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やりたい事がたくさんあるという状態は無条件に素敵な状態のようにも見えるけど、処理能力の低い人間にとってはそうでもない場合もあるのではないか。
何事もほどほどが重要。

しかし限界の証明は難しいということが、やっぱりループの一因になっているんだろうなあ。

2008年9月24日水曜日

メモ

掃除の話メモ

昨夜ファミレスでおしゃべりしていた時に掃除や片付けなどの話が出たんだけど、所有する物を少なく保つのは重要だみたいな話をしている時に(私も同意していたのに)なんとなく違和感を感じていたのが不思議だった。
で、今朝になってから「収納場所が多くても収納する物自体が少なくても、結局片付けようとする気力が無くては片付かない」ということが私にとっては大きいんだということに気付いた。

以下も引き続き私の場合のメモなので、大部分の人には当てはまらなかったり意味不明かも。

「片付ける気力」がある状態というのは「処理できると思える程度の散らかり具合」とか「片付けの他にやりたい事が無い」時だ。
前者に関しては所有物を少なくすることで散らかりレベルが急激に増えるのを防ぐのと、処理できるレベルの内に片付けるのを繰り返すことで散らかりレベルを維持するスパイラルを作るのが重要。
だけど基本的に面倒くさがりなので(何度も書くけどトイレに行くのも面倒)、後者の条件が満たされていないとダメ。
どんなに物を少なくしても「今脱いだ服をハンガーに掛けるor洗濯籠に入れる」とかいうことすらできない状態では部屋は片付かない。
「使ったものはすぐにしまう(あるべき場所に戻す)」というのは習慣化されるまではがかなり大変。

私は、

実家(とても散らかっている)

夫と同居していた家(夫の掃除により超片付いていた)

一人暮らし(物が無い)

という風に住む場所が変わったのもあって、「(散らかっている部屋に比べて)片付いている部屋で過ごす快適さ」とか「散らかりレベルが高い時と低い時の掃 除労力の差」を実感したんだんだけど、一人暮らし当初の物も予定も無い状態から少しずつそれらが増えてきて(でも空間的な余裕はまだある)片付けることが 億劫になりはじめた時に、「必要なのは実際に体を動かそうという気になるかならないか」だと思った。
例えば私は読みたい本ややりたいゲームがある時はちょっとした物の片付けも後回しにして本やゲームに向かってしまう。
習慣化されるまでは片付けなんてすぐに優先順位が下がるので、新しい本やゲームなどを部屋に持ち込まないようにして土日に遊びの予定も入れなければ、さすがの私でも1分もかからずに済む片付けならやるようになる。
とにかく片付けしかすることがないような状況に自分を置くようにすればいいのではないかと思った。

その頃の私の目標は部屋をきれいに保つことなんかでは全然無くて「快適に過ごす」ことだったんだけど、楽しい事ややりたい事や気になる事がたく さんありすぎる状態を整理するためにいろんな物事から離れるようにしたら(物質的な「物」じゃなくて精神的に執着している「モノ」を減らしたら)、副次的 に部屋を掃除する余裕もできたところだった。
物がない空間でボーっとして数ヶ月暮らしていたら、きれいな部屋は快適に過ごせるなあと思うようになったので、その後の「快適」の内訳に“部屋が片付いた状態である”が含まれるようになった。

物を減らして掃除をして「自分がコントロールできる量を所持する」ことの大事さを実感するにつれ、「自分がコントロールできる量のやりたい事を 認識する(過剰に増えないように流入する情報量を制限する)」ことの大事さも実感するようになり、それは部屋の片付き具合でも改めて実感させられたりす る。
当たり前の話だけど、所有物の量をコントロールするということは、自分の欲望を(極端に言えば向上心をも)コントロールすることの極一部なのではないかなあ、と思う。

でもコントロールした結果、どういう状態になりたいのかというのを実感するためには、複数パラメータに対する快と不快のバランスを実験しながら観測していくしかないとするとやはり難しいかも。

2008年9月17日水曜日

メモ

なんだかやる事がたくさんあるような気がして、ここ数日は妙に焦りを感じている。
よく考えたら自分の予定はそんなに詰まってないし、自分がやらなければいけないことも全然無いのに。
単なるお節介でストレスを感じているんだから間抜けな話だ。
ゆっくり本を読んで、休日にはほどほどに入っている予定を消化していけばいい。

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ほどほどに。
過ぎたるは及ばざる如しという感じ?

かつての私は処理能力より多くの物事が身の回りにあって、快を快として認識できなくなっていた。
だから嫌なことも好きなこともとにかく周辺から無くすようにした。
そうしたらだいぶ感覚が戻ってきた。

なんでもたくさんあればいいってものでもない。
処理能力以上に一生懸命になるのも弊害がある場合もある(能力の上限は普通わからないが)。
一瞬一瞬を一期一会的に感じながら生きるのは、生き物として難しいと思う。
「生きる」ことを重視するなら(or 生命が尊いものだと評価しているなら)、比較的意味の小さなモノの優先順位を下げたらいい。

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『目薬α』で一連のシリーズに関して急に情報が見えてきた。
これはどう収束するんだろう。。
とりあえず森博嗣氏は突然死とかしないで欲しいと思う。

2008年9月16日火曜日

メモ

減点法の私が、これ以上変化を求めていない(減点を減らそうと思っていない)ということは、かなり満たされているということではないか。
(どこかの減点を減らそうと思うと別の部分の点数がマイナスされる。)

他人に対して主張はしないが、自分の中では目的や夢が無くても生きていけると実感できるようになった。

以下、これまでのあらすじ

モヤモヤする
→なんとなく「将来」周辺についてモヤモヤした気分
→みさきちさんについて質問されたのが遠因?

モヤモヤの原因を考える
→悩んでいるわけではないが、不確定すぎたり考えていない事柄があるのが理由?
(「将来のことを考える」ことについて考えた)
→じゃあ一度考えてみよう

キャリアプラン?ライフプラン?
→検索してもピンとこない
→目的とか夢がない
→どういう時が幸せか、不幸か
→「3年後に死ぬとしたら」を考えたら、ほぼ現状維持という答えになった(我慢するわけではなくナチュラルに)

今は満たされている
→現状維持
→目的や夢が無くても「生活」できるような状態にしたい

ライフイベントが無いとした時のマネープラン
→本を読んで、定年前とその後で大きく分けて考えてみようという気になる

現状を把握しよう
→大雑把に平均年収を計算してみる

2008年9月14日日曜日

メモ

私の生きる目的は「死なない」だ。
だから「死にたくならないように生きる」ようにする。

2008年9月12日金曜日

メモ

レコメンドされたくない。
すでにやりたい事(知りたい事)でいっぱいなのに、これ以上増やさないで。
既知のモノを思い出させてくれるくらいだといいかも。
優先順位を付け直してくれるというか。

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夢や目標を達成するためにプランを立てるんじゃなくて、夢や目標がなくても生きていけるようなプランを考えればいいのかな。

私の場合は、お金を稼ぎすぎないようにとか、今の状態は余裕があるんじゃないと安心できるようにするとか。
ライフプランに沿うように生きるのが私の目標になる??